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⑧「アモーレ、心の赴くままに」

  • 執筆者の写真: 梅原江史
    梅原江史
  • 5月28日
  • 読了時間: 2分



音楽を好きでよかったというか、僕にとってはこれがあるのとないのとでは人生自体が全く別のものになっていたと思う。

僕の思春期の頃はバンドブームでした。

「これが泣けるんだよ」と言われて、筋肉少女帯のCDをクラスメイトに貸してもらいました。

そのクラスメイトと僕は初めてのバンドを組みます。

まわりにはいないキャラクターを自分を使って演じるような、僕はそういう若者でした。

学校の中では目立ちもしない僕もライブハウスでは「ちょっと様子のおかしい不思議なひと」として認知されていました。

たくさんの若者が集まるライブハウスの有名人、それが僕でした。


音楽をきっかけに上京する仲間もいましたが、僕にとっての音楽はまだそういうものではありませんでした。

自分の居場所が音楽を介したコミュニティで、そこにいろんな理由が重なって運よく目立っていただけです。

そんな僕が池田さんに誘われてMUSHA×KUSHAというバンドを始めました。

そこから、見える風景は目まぐるしく変わってゆきました。


誘われるライブをできるだけ断らずにいたら、僕たちは年間ライブ本数は200本を超えるツアーバンドになっていました。

高知にいない日数のほうが遥かに多い生活を何年もしてきました。

生活としては破綻しています。

メンバーそれぞれの生活の基盤を築いた上で活動するやり方にMUSHA×KUSHAは舵を切り直しました。


僕個人としては新潟県長岡市に移り住むわけですが、友達もいなかったこの街で最初に出会った友達が、ツアーバンド時代の我々と対バンしたことが縁だったのです。

まるで何かに導かれている気さえしました。


先日、ストロベリーソングオーケストラ主催による「怪帰大作戦」というイベントで大槻ケンヂさんとご一緒させて頂きました。

共通の知り合いの方がいまして、その方の話題で少しお話しさせてもらいました。

10代の頃の梅原くん、出番がなくて悪かったね。

大人になった君は歌詞を書いているよ。

いつか読んでみて欲しい。

 
 
 

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