先日、新潟LOTSで行われたケミカル⇄リアクションの10周年記念イベントでTHE FOREVER YOUNGと対バンしました。
有名なバンドだから名前くらいは僕も知っていました。
クニタケヒロキくんが、「もともとはKARIBUxNOxKAIZOKUというバンドをやってまして」と話しかけてくれた。
完全に僕の認識不足だった。
久留米で対バンしたし、なんならCDも持ってるじゃないか。
こういうのは意識的に改善しようと思った。
素晴らしいライブだった。
ともあれ、久しぶりに佐賀や久留米のバンド仲間の話題ができてとても嬉しかった。
SHACHIとともに立ち上げたUn−do Labelの仲間であるSUGAR HILLを頼って何度も九州には通った。
随分とご無沙汰しているけど、しんどいことのほうが多かった時期に強力にサポートしてくれたみんなのことは生涯の恩人だといつも思っている。
九州というのは個人的に破滅的な思い出に溢れている。
あれは大分で打ち上げがおひらきになったにもかかわらず、飲み足りなくて路上で一人酒をしたときのことだった。
目覚めると僕は知らないひとの車の助手席にいました。
どうやら行きずりの男性と意気投合し、しばらく一緒に飲んだ後、「泊まるところなかったら狭い車ですけど」と朝を待たせてくれたらしいのです。
当時は宿をとることも稀で車中泊が主でした。
ハンドルキーパーが目覚めるとメンバーの集合を確認し、コインパーキングから機材車を出発させる生活だったのです。
彼の温かい思いやりであることだとは知らずに、目覚めた僕はまだ眠っていた彼を起こしてこう言ったのです。
「お前は誰や?」
いきさつを説明されるとともに記憶が蘇り、穴があったら入りたい気持ちになりました。
謝罪と感謝を丁寧にお伝えした後、メンバーと合流して僕たちのツアーは続いたのでした。
無事でいられること、それは売り上げ以上にツアーの成功だといえます。
これは間違いないです。
追伸
池田さんが「どうせ俺は嫌われもんやき、放っちょいてくれ!」といって民家のガレージの洗濯機に侵入しようとしていたのは久留米でした。
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